②40年前に行ったヨーロッパ貧乏旅行。シベリア鉄道の旅の始まりはユーラシア大陸の東から。
68才の私がシベリア鉄道の旅を思い出すと約40年も昔という事に今更ながら驚きます。
「光陰矢の如し」今の人は使わないですね〜「歳月人を待たず」これも古い〜
シベリア鉄道に乗って
シベリア鉄道では大奮発して2人用コンパートメントを予約しましたのでとても快適でした。若かった当時は1週間の間の汽車の揺れも音も気にならずぐっすり眠れました。シベリア鉄道の中で1番お世話になったのがサモアールという給湯器でした。通路の奥に蛇口の付いた大きなサモアールにがあり年配の女性の乗務員さんがお世話してくれました。私はチャイがお気に入りで1日に2〜3回は飲んでいました。「地球の歩き方」の中にサモアールは無料だけどチップを渡した方がいいみたいな事が書いてありました。ツアーは食事もついていましたので両替はしていなくて日本の硬貨を渡していた気がします。ソビエト時代の日本の硬貨はどうなのか?と今は思いますが、彼女は何も言わずに受け取っていました。1番お世話になりましたので話しかけてみればよかったと思います。今思うとインツーリストの添乗員さんに聞いてみれば良かったと思います。現在ならスマホの翻訳機能で話せるらしいので時代は進化しましたね!
キャビアの入った器がテーブルに
食事は食堂車にツアー客が集まり一緒に食べました。夕食はテーブルクロスが掛かったテーブルの中央に小皿に入ったキャビアがありテーブルの人達で分け合って食べます。今では贅沢な食事ですね。私はキャビアは少し食べてあまり好きな味ではありませんでしたが好きな人は本当に嬉しかったようです。それと黒パンを初めて食べました。少し酸味がありチーズなどと食べると美味しかったです。ボルシチやピロシキなども良く出てきました。薄く切った黒パンやハム、チーズなど1週間同じようなロシア料理でしたが飽きずに食べれました。
日本の食べ物でほっとひと息
荷物の中に非常用に?カップヌードルを1個ずつ入れていました。シベリア鉄道に乗って数日後に食べて感激した覚えがあります。やはり美味しかった〜!それと私は梅干しと日本茶を少し持っていていましたのでシベリア鉄道の中で景色を見ながら飲んでホッとしてました。
茶葉をビニール袋に入れていたので、どこの入国審査か忘れましたが検査官が荷物の中から茶葉を見つけて同僚に不審物のように渡しました。受け取ったたくましい同僚は匂いを嗅いで顔をしかめて「この茶葉は怪しい物では無い〜」みたいな表情で返して貰いほっとしました。40年前は日本茶が今ほど知れ渡っていない頃でしたが、危なかったかも?ですね汗
汽車の中は暇なので車窓の風景と駅に着くのが楽しみでした。駅のホームでは地元の人達が畑で採れた果物(小さなリンゴのような果物)や手作りお菓子などを売っていました。小さな駅でのホームは果物を売る人達が数人ホームに立っていて昔の映画のような雰囲気みたいなこともありました。日本と違いアナウンスやベルの音は無く静かに止まり、静かにすーっと出発します。ヨーロッパも全てそうでしたので外国は全て自己責任で私はその静けさが良かったです。
観光客がホームに降りて買い物したり少しの間のんびりしてる人もいましたが私はホームに降りるのは置いて行かれそうで怖かったですが後半は勇気を出して降りてすぐ汽車に入った記憶があります
地図を見て止まった駅の名前を確認して次の駅名を調べるのが日課になっていました。
バイカル湖は大きくて透明でした
ツアーではバイカル湖の見学がありましたのでバイカル湖の近くのイルクーツクで一旦下車できるのが嬉しかったです。イルクーツクはシベリアのパリと呼ばれるヨーロッパ調の美しい町です。バスでバイカル湖まで行きました。高い位置から初めて見たバイカル湖は広くて大きいので海のようでした。世界で最も深い湖で透明度も世界1、2だそうです。岸辺を歩きながらバイカル湖の透明な水に指を入れてしばしの感激を味わいました。
翌日、またシベリア鉄道に乗りモスクワを目指します。
車窓の風景が森林がどこまで広がり北極海まで続いているように見える場所は感激しました。森林のはるか遠くに夕陽が沈んでいくのは大陸的で日本では見れない景色で本当に美しかったです。線路のほとりに小さな家がポツン、ポツンとあり後は森林のみです。その中をシベリア鉄道がひたすら走り抜けるのは映画の世界のようでした。
果てしなく広がるロシアの風景
シベリア鉄道の中では、コンパーメントの中から通路に出て景色を見てる外国人がたくさんいましたので私も時々同じようにして見てました。食堂車に3回食事に行くのとサモアールで入れたチャイを貰いに行くのが日課でした。後は地図を見ては位置確認しては早くモスクワに着いて自由に歩き回るのが楽しみでした。