朝の野菜スープ暮らし

68歳ひとり暮らしです。17歳の老猫が甲状腺機能亢進症と分かり治療中です。昨年7年一緒に暮らした猫が行方不明になりブログを始めるきっかけになりました。健康の事や老猫との暮らし、野菜作りの事など日々を綴りたいと思います。

①40年前に行ったヨーロッパ貧乏旅行の旅の始まりはユーラシア大陸東のナホトカから。

 私は今68才です。時々ふっと旅に行きたいな〜と思いますが現実はそうはいかず気ままに旅が出来ていた若い日が懐かしくなり旅の思い出を書いて現実逃避してみたいなぁ〜と思いました^ ^

外国旅行の写真や日記などもあったのですが断捨離が好きで引っ越しの時に処分してしまいこれだけはもったいなかったなぁと思います。

 

今から約40年前ですが私が20代の後半に夫と一緒に2か月間ヨーロッパ貧乏気まま旅をしました。当時は世界中を気ままに旅するバックパッカーがたくさんいました。夫も若い頃は世界中を気ままに旅するバックパッカーでした。私は旅が好きでも日本から出た事がありませんでしたが、ちょうど夫に長期休暇が取れる事になり外国に行くのは子供も居ない今しかないという事で行く事にしました。貧乏旅行です。

 

ヨーロッパ貧乏旅行の目的地はアルハンブラ宮殿

 

 私の希望はヨーロッパでした。その頃好きだった本がワシントン・アービングの「アルハンブラ物語」でスペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿に憧れがあり行ってみたいと思っていました。「アルハンブラ物語」は米作家ワシントン・アービングアルハンブラ宮殿の美しさに魅せれてアルハンブラの歴史や伝説を元に綴った異国情緒あふれる物語です。翻訳書は数人が出されていて読み応えのある厚い本から読みやすい本があります。江間章子さん翻訳の本が読み易くて何度も読んでは行ってみたいなぁ〜と思っていました。

 

 夫はほぼ世界一周した割には(行って無い国もまだまだまだありますが)飛行機が苦手で、私も苦手でしたので飛行機を使わずにヨーロッパに行く方法を考えました。沢木耕太郎さんの「深夜特急」みたいに昔の若者はインド経由でヨーロッパに行く人が多く夫も同じでした。

私は精神的にも体力的にも軟弱でインドは無理と判断した夫は(私自身でも思います汗)シベリア鉄道でロシアを横断してヨーロッパに入る案を出してくれて即、賛成しました。ロシア経由は船でロシアに渡り鉄道で7日間旅するのは若かった当時は魅力的でした。

 

 

モスクワの赤の広場に建つポクロフスキー聖堂。聖ワシリイ大聖堂とも呼ばれます。

 

 

 

当時は1984年頃なのでまだソビエト連邦の時代ですね。ソビエト連邦の崩壊は1988ー1991年にかけてなので少し後から崩壊が始まるのですね。

ロシア連邦になり永遠に平和が訪れると思っていましたが40年後に今のような戦争が始まるとは誰も想像だにしていないですね。1日でも早く平和が訪れる事を心より願っています。

 

地球の歩き方」の本にはお世話になりました

 

地球の歩き方」が少し前に発売されていて旅する若者に大人気でした。今は情報がたくさんありますが40年前はインターネットも無く外国の詳しい情報がありませんでした。「地球の歩き方」は、その国の観光やホテルやレストランやおすすめの場所や注意点などが細かく記載されている旅行ガイド本で当時は本当に心強かったです。読んでるだけでその国を旅してる気持ちになれる程の詳しい情報が詰まっていました。ほとんどの人が「地球の歩き方」を抱えて旅していたと思います。

 

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 ロシア旅行はソビエト時代の国営旅行会社インツーリストだけでした。ツアーのみです。ヨーロッパからは自由気ままに旅する事にしました。

船はたぶんハバロフスク号?かも?ツアーにはインツーリストの添乗員の年配女性(当時はそう思いましたが若いかも)が一緒でした。

横浜港から船でロシアの東の港ナホトカ港に渡ります。船内は必要最低限の設備だった気がします。2泊3日の船旅でした。(調べたら52時間だそうです)幸いお天気に恵まれて船が揺れずに助かりました。

ナホトカ航路は今は廃止みたいです。テレビで見ましたが現在は飛行機でナホトカの近くのウラジオストクまで短時間で行けますね。ナホトカ航路は日本からシベリア鉄道を利用してヨーロッパに向かう旅行者の重要な交通手段だったそうでナホトカから90キロ先のウラジオストクシベリア鉄道です。私達は貧乏旅行でしたが船旅とシベリア鉄道は大奮発してかなり高い2人部屋を予約していました。夫は社交的なのですが私は知らない人とずっと一緒がダメでこれだけは頑張りました!私達以外の人達は船もシベリア鉄道も他人と同じ部屋でしたので私達のロシア旅は豪華旅行でした。

 

 

2泊3日の船旅

 

 

 

ナホトカ航路は船の便数も少なく日本人ツアー客は20〜30人くらいだったと思います。年齢も若い人が少しで40〜50代位の人が多かったです。私達のようなバックパッカーもどきのような人はいませんでした。他にはロシアのバレエ団の女の子達が乗っていてスタイルが良くて色白でお人形さんみたいに綺麗で見とれてしまいました。

旅の楽しみは知らない人と仲良くするのがあるみたいですが、社交的で無い若かった私は半減かも?ですね。でも自分にとって心地よいのが1番でした。今ならオバサンになり少しは図々しさ?もできてるので他の人達の相部屋に遊びに行ったりモスクワからどうするの?など突っ込んだ事も話せると思います。

 

ツアーで印象的だったのはかなり年配の知的そうな男性が1人で参加されていました。九州の西の端にある島から参加したと言われていました。船と新幹線で横浜港に行きロシアに渡りシベリア鉄道で1週間の旅をするのはツアーとはいえ、その気持ちは素晴らしいなぁと当時は思いましたが、この年代になりその方はもう少し若く今の私より少し年上くらいの年だったのかも?と思い出す事があります。当時は深く考えませんでしたが戦争経験がありソビエト連邦に想いがあったのかも?

今はその男性と同じ位の年齢になり同じようなハードな旅ができるか?と思うと気持ちはあっても体力的にきついですね涙

 

 

 

 

 

ウラジオストクの町並

 

 

ロシア最初の町は小さな港町のナホトカでした。

そして90キロ先のウラジオストクへ行きます。ウラジオストクはヨーロッパの街並みのような大きな港街です。日本から1番近いヨーロッパと言われています。ソビエト連邦特有の銅像がいたる所にあり異国情緒たっぷりで外国に来た〜と感じられました。ウラジオストクはバレエが盛んなので船で一緒だったバレエ団の女の子達はこの町に帰ったのかも?

公設市場も当時は品数が少なくガランとしている印象でした。旅行者は行って良い場所とダメな場所があり、写真も勝手に撮ったら危ないよ〜なんてツアー客同士で話した記憶があります。

 

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ユーラシア大陸東の地ウラジオストクからモスクワまで約9000kmを1週間かけての鉄道旅です。汽車の中は暇でしたので駅が楽しみで駅名を確認して地図を見ては位置を確認して、次の駅の名前を見るのが日課でしたので今でも駅名を幾つか覚えています。ハバロフスクウラン・ウデ、チタ、イルクーツクの駅名は今も思い出します。

1週間も汽車に乗り続けるのを20代後半当時は何とも思いませんでしたが、今は汽車の中で寝ると考えるだけで心臓ドキドキです汗。年齢のせいか揺れるのが苦手になりました。今も飛行機は苦手ですが我慢して乗り早く現地に着いてホテルでゆっくり寝たい派です。ホント軟弱ですね〜

 

「シベリア横断鉄道」「ユーラシア大陸」「バイカル湖」「モスクワ」「赤の広場」地理の教科書でしか知らない場所が楽しみです。