朝の野菜スープ暮らし

68歳ひとり暮らしです。17歳の老猫が甲状腺機能亢進症と分かり治療中です。昨年7年一緒に暮らした猫が行方不明になりブログを始めるきっかけになりました。健康の事や老猫との暮らし、野菜作りの事など日々を綴りたいと思います。

②40年前に行ったヨーロッパ貧乏旅行。シベリア鉄道の旅の始まりはユーラシア大陸の東から。

68才の私がシベリア鉄道の旅を思い出すと約40年も昔という事に今更ながら驚きます。

「光陰矢の如し」今の人は使わないですね〜「歳月人を待たず」これも古い〜

 

 

シベリア鉄道に乗って

 

 シベリア鉄道では大奮発して2人用コンパートメントを予約しましたのでとても快適でした。若かった当時は1週間の間の汽車の揺れも音も気にならずぐっすり眠れました。シベリア鉄道の中で1番お世話になったのがサモアールという給湯器でした。通路の奥に蛇口の付いた大きなサモアールにがあり年配の女性の乗務員さんがお世話してくれました。私はチャイがお気に入りで1日に2〜3回は飲んでいました。「地球の歩き方」の中にサモアールは無料だけどチップを渡した方がいいみたいな事が書いてありました。ツアーは食事もついていましたので両替はしていなくて日本の硬貨を渡していた気がします。ソビエト時代の日本の硬貨はどうなのか?と今は思いますが、彼女は何も言わずに受け取っていました。1番お世話になりましたので話しかけてみればよかったと思います。今思うとインツーリストの添乗員さんに聞いてみれば良かったと思います。現在ならスマホの翻訳機能で話せるらしいので時代は進化しましたね!

 

 

 

 

キャビアの入った器がテーブルに

 

 

テーブルの中央にキャビア。4〜5人で食べました。

 

 食事は食堂車にツアー客が集まり一緒に食べました。夕食はテーブルクロスが掛かったテーブルの中央に小皿に入ったキャビアがありテーブルの人達で分け合って食べます。今では贅沢な食事ですね。私はキャビアは少し食べてあまり好きな味ではありませんでしたが好きな人は本当に嬉しかったようです。それと黒パンを初めて食べました。少し酸味がありチーズなどと食べると美味しかったです。ボルシチピロシキなども良く出てきました。薄く切った黒パンやハム、チーズなど1週間同じようなロシア料理でしたが飽きずに食べれました。

 

ボルシチは世界三大スープのひとつで酸味があり美味しかったです。

 

 

日本の食べ物でほっとひと息

 

 

荷物の中に非常用に?カップヌードルを1個ずつ入れていました。シベリア鉄道に乗って数日後に食べて感激した覚えがあります。やはり美味しかった〜!それと私は梅干しと日本茶を少し持っていていましたのでシベリア鉄道の中で景色を見ながら飲んでホッとしてました。

茶葉をビニール袋に入れていたので、どこの入国審査か忘れましたが検査官が荷物の中から茶葉を見つけて同僚に不審物のように渡しました。受け取ったたくましい同僚は匂いを嗅いで顔をしかめて「この茶葉は怪しい物では無い〜」みたいな表情で返して貰いほっとしました。40年前は日本茶が今ほど知れ渡っていない頃でしたが、危なかったかも?ですね汗

 

 

汽車の中は暇なので車窓の風景と駅に着くのが楽しみでした。駅のホームでは地元の人達が畑で採れた果物(小さなリンゴのような果物)や手作りお菓子などを売っていました。小さな駅でのホームは果物を売る人達が数人ホームに立っていて昔の映画のような雰囲気みたいなこともありました。日本と違いアナウンスやベルの音は無く静かに止まり、静かにすーっと出発します。ヨーロッパも全てそうでしたので外国は全て自己責任で私はその静けさが良かったです。

観光客がホームに降りて買い物したり少しの間のんびりしてる人もいましたが私はホームに降りるのは置いて行かれそうで怖かったですが後半は勇気を出して降りてすぐ汽車に入った記憶があります

地図を見て止まった駅の名前を確認して次の駅名を調べるのが日課になっていました。

 

 

 

バイカル湖は大きくて透明でした

 

 

 

 

ツアーではバイカル湖の見学がありましたのでバイカル湖の近くのイルクーツクで一旦下車できるのが嬉しかったです。イルクーツクはシベリアのパリと呼ばれるヨーロッパ調の美しい町です。バスでバイカル湖まで行きました。高い位置から初めて見たバイカル湖は広くて大きいので海のようでした。世界で最も深い湖で透明度も世界1、2だそうです。岸辺を歩きながらバイカル湖の透明な水に指を入れてしばしの感激を味わいました。

翌日、またシベリア鉄道に乗りモスクワを目指します。

車窓の風景が森林がどこまで広がり北極海まで続いているように見える場所は感激しました。森林のはるか遠くに夕陽が沈んでいくのは大陸的で日本では見れない景色で本当に美しかったです。線路のほとりに小さな家がポツン、ポツンとあり後は森林のみです。その中をシベリア鉄道がひたすら走り抜けるのは映画の世界のようでした。

 

 

 

 

果てしなく広がるロシアの風景

 

 

ロシアの美しい夕陽。

 

シベリア鉄道の中では、コンパーメントの中から通路に出て景色を見てる外国人がたくさんいましたので私も時々同じようにして見てました。食堂車に3回食事に行くのとサモアールで入れたチャイを貰いに行くのが日課でした。後は地図を見ては位置確認しては早くモスクワに着いて自由に歩き回るのが楽しみでした。

 

 

 

 

 

 

①40年前に行ったヨーロッパ貧乏旅行の旅の始まりはユーラシア大陸東のナホトカから。

 私は今68才です。時々ふっと旅に行きたいな〜と思いますが現実はそうはいかず気ままに旅が出来ていた若い日が懐かしくなり旅の思い出を書いて現実逃避してみたいなぁ〜と思いました^ ^

外国旅行の写真や日記などもあったのですが断捨離が好きで引っ越しの時に処分してしまいこれだけはもったいなかったなぁと思います。

 

今から約40年前ですが私が20代の後半に夫と一緒に2か月間ヨーロッパ貧乏気まま旅をしました。当時は世界中を気ままに旅するバックパッカーがたくさんいました。夫も若い頃は世界中を気ままに旅するバックパッカーでした。私は旅が好きでも日本から出た事がありませんでしたが、ちょうど夫に長期休暇が取れる事になり外国に行くのは子供も居ない今しかないという事で行く事にしました。貧乏旅行です。

 

ヨーロッパ貧乏旅行の目的地はアルハンブラ宮殿

 

 私の希望はヨーロッパでした。その頃好きだった本がワシントン・アービングの「アルハンブラ物語」でスペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿に憧れがあり行ってみたいと思っていました。「アルハンブラ物語」は米作家ワシントン・アービングアルハンブラ宮殿の美しさに魅せれてアルハンブラの歴史や伝説を元に綴った異国情緒あふれる物語です。翻訳書は数人が出されていて読み応えのある厚い本から読みやすい本があります。江間章子さん翻訳の本が読み易くて何度も読んでは行ってみたいなぁ〜と思っていました。

 

 夫はほぼ世界一周した割には(行って無い国もまだまだまだありますが)飛行機が苦手で、私も苦手でしたので飛行機を使わずにヨーロッパに行く方法を考えました。沢木耕太郎さんの「深夜特急」みたいに昔の若者はインド経由でヨーロッパに行く人が多く夫も同じでした。

私は精神的にも体力的にも軟弱でインドは無理と判断した夫は(私自身でも思います汗)シベリア鉄道でロシアを横断してヨーロッパに入る案を出してくれて即、賛成しました。ロシア経由は船でロシアに渡り鉄道で7日間旅するのは若かった当時は魅力的でした。

 

 

モスクワの赤の広場に建つポクロフスキー聖堂。聖ワシリイ大聖堂とも呼ばれます。

 

 

 

当時は1984年頃なのでまだソビエト連邦の時代ですね。ソビエト連邦の崩壊は1988ー1991年にかけてなので少し後から崩壊が始まるのですね。

ロシア連邦になり永遠に平和が訪れると思っていましたが40年後に今のような戦争が始まるとは誰も想像だにしていないですね。1日でも早く平和が訪れる事を心より願っています。

 

地球の歩き方」の本にはお世話になりました

 

地球の歩き方」が少し前に発売されていて旅する若者に大人気でした。今は情報がたくさんありますが40年前はインターネットも無く外国の詳しい情報がありませんでした。「地球の歩き方」は、その国の観光やホテルやレストランやおすすめの場所や注意点などが細かく記載されている旅行ガイド本で当時は本当に心強かったです。読んでるだけでその国を旅してる気持ちになれる程の詳しい情報が詰まっていました。ほとんどの人が「地球の歩き方」を抱えて旅していたと思います。

 

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 ロシア旅行はソビエト時代の国営旅行会社インツーリストだけでした。ツアーのみです。ヨーロッパからは自由気ままに旅する事にしました。

船はたぶんハバロフスク号?かも?ツアーにはインツーリストの添乗員の年配女性(当時はそう思いましたが若いかも)が一緒でした。

横浜港から船でロシアの東の港ナホトカ港に渡ります。船内は必要最低限の設備だった気がします。2泊3日の船旅でした。(調べたら52時間だそうです)幸いお天気に恵まれて船が揺れずに助かりました。

ナホトカ航路は今は廃止みたいです。テレビで見ましたが現在は飛行機でナホトカの近くのウラジオストクまで短時間で行けますね。ナホトカ航路は日本からシベリア鉄道を利用してヨーロッパに向かう旅行者の重要な交通手段だったそうでナホトカから90キロ先のウラジオストクシベリア鉄道です。私達は貧乏旅行でしたが船旅とシベリア鉄道は大奮発してかなり高い2人部屋を予約していました。夫は社交的なのですが私は知らない人とずっと一緒がダメでこれだけは頑張りました!私達以外の人達は船もシベリア鉄道も他人と同じ部屋でしたので私達のロシア旅は豪華旅行でした。

 

 

2泊3日の船旅

 

 

 

ナホトカ航路は船の便数も少なく日本人ツアー客は20〜30人くらいだったと思います。年齢も若い人が少しで40〜50代位の人が多かったです。私達のようなバックパッカーもどきのような人はいませんでした。他にはロシアのバレエ団の女の子達が乗っていてスタイルが良くて色白でお人形さんみたいに綺麗で見とれてしまいました。

旅の楽しみは知らない人と仲良くするのがあるみたいですが、社交的で無い若かった私は半減かも?ですね。でも自分にとって心地よいのが1番でした。今ならオバサンになり少しは図々しさ?もできてるので他の人達の相部屋に遊びに行ったりモスクワからどうするの?など突っ込んだ事も話せると思います。

 

ツアーで印象的だったのはかなり年配の知的そうな男性が1人で参加されていました。九州の西の端にある島から参加したと言われていました。船と新幹線で横浜港に行きロシアに渡りシベリア鉄道で1週間の旅をするのはツアーとはいえ、その気持ちは素晴らしいなぁと当時は思いましたが、この年代になりその方はもう少し若く今の私より少し年上くらいの年だったのかも?と思い出す事があります。当時は深く考えませんでしたが戦争経験がありソビエト連邦に想いがあったのかも?

今はその男性と同じ位の年齢になり同じようなハードな旅ができるか?と思うと気持ちはあっても体力的にきついですね涙

 

 

 

 

 

ウラジオストクの町並

 

 

ロシア最初の町は小さな港町のナホトカでした。

そして90キロ先のウラジオストクへ行きます。ウラジオストクはヨーロッパの街並みのような大きな港街です。日本から1番近いヨーロッパと言われています。ソビエト連邦特有の銅像がいたる所にあり異国情緒たっぷりで外国に来た〜と感じられました。ウラジオストクはバレエが盛んなので船で一緒だったバレエ団の女の子達はこの町に帰ったのかも?

公設市場も当時は品数が少なくガランとしている印象でした。旅行者は行って良い場所とダメな場所があり、写真も勝手に撮ったら危ないよ〜なんてツアー客同士で話した記憶があります。

 

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ユーラシア大陸東の地ウラジオストクからモスクワまで約9000kmを1週間かけての鉄道旅です。汽車の中は暇でしたので駅が楽しみで駅名を確認して地図を見ては位置を確認して、次の駅の名前を見るのが日課でしたので今でも駅名を幾つか覚えています。ハバロフスクウラン・ウデ、チタ、イルクーツクの駅名は今も思い出します。

1週間も汽車に乗り続けるのを20代後半当時は何とも思いませんでしたが、今は汽車の中で寝ると考えるだけで心臓ドキドキです汗。年齢のせいか揺れるのが苦手になりました。今も飛行機は苦手ですが我慢して乗り早く現地に着いてホテルでゆっくり寝たい派です。ホント軟弱ですね〜

 

「シベリア横断鉄道」「ユーラシア大陸」「バイカル湖」「モスクワ」「赤の広場」地理の教科書でしか知らない場所が楽しみです。

 

 

 

 

桑の実ジャム

 

 

桑の実を人生で初めて摘みました。

 

 

 

小さい一粒が集まり小さな小さなブドウみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知り合いの知り合いから桑の実を取って良いと言われ摘んで帰りました。

赤いのは酸っぱく黒いのが甘いそうです。

指先が赤紫色に染まりワクワク感たっぷりでひたすらせっせと摘みました。

家に帰り夕食後にジャムにしようと調べたら緑色のヘタをハサミで切るそうなので又、指先を赤紫色に染めてひたすら切りました。

きび砂糖が足りなかったので黒砂糖も入れて、使いきれず冷凍していたレモン汁を入れて完成!

 



 

 

 

 

調べたら桑の実ジャムって英語でマルベリージャムなんてオシャレな名前なんですね。

栄養価が高くビタミンやミネラルがたっぷりで目や肌にも良いらしくスーパーフードらしいです。知らなかった。

 

 

焼いたもちもちお米パンにマルベリージャムを載せて。



 

 

朝ご飯にマルベリージャム。スープにかぼちゃをのせて。残りものを入れてレンチンしたオムレツ。



 

 

 

 

私は田んぼや畑に囲まれた田舎で育ったので、家の周りには桑の木がたくさんありました。

子供の頃は桑の実を食べた事も無く、ジャムにするなんて知らずもったい!

田舎は柿、栗、いちじく、梨、ビワなどが身近にありましたが子供の頃はそんなに美味しいと思った事が無く興味が無かった記憶があります。

最近は果物が高くてあまり買えない今の私からしたら、何て贅沢な環境だったのだろうと懐かしく思い出します。今なら毎日でも木から採って食べるのに!

 

 

 

 

桑の実。赤は酸っぱくて黒いのを摘みます。

 

 

大人になっても柿、栗、いちじく、ビワは買って食べる果物では無いと思ってましたが、いつの頃からか旬の頃にお店に出ると1年に1回しか食べれないと思い買うようになりました。

 

 

 

 

私の大切な家族だったのに行方不明になった不思議で愛おしい猫

 7歳のオス猫の美遊が昨年の夏の終わりに行方不明になりました。

7年前、美遊と出会った頃の私はいくつか問題を抱えていました。

(今も変わらず悩みはたくさんありますが、、、)

当時、住んでいたのは小さな古い家でした。(今も同じような小さい古い家ですが)

 

 

 

美遊がいつも寝ていたテーブルが寂しくて淋しくて大好きな水仙を置きました。

 

 

 

 

 

その前は1人で賃貸しマンションに住んでいましたが仕事の悩みや色々なストレスがあり、とても体調が悪くメニエール病でめまいと吐き気を繰り返していました。ホントに天井が回るんだ〜と変な納得してました。点滴を受けながら仕事に行っていて家賃が負担でしたし出費を減らしたかったです。

そこで少ない貯金で買える小さな家を探したら1軒だけありました。それでもまだ少し高いので悩んでいたら、不動産屋さんが大幅値下げしますと言われて。

私の資金で買えるのはその家しか無く買う決心しました。

 

 

家賃の心配からは解放されましたが、値段のみで購入したその家は好きに慣れませんでした。

地域的はに人気のある場所でしたが、家の前の交通量が多くて車の音と、人通りも多いので落ち着きません。両隣と近くて生活音がする。もともと人付き合いが苦手なので近所とも馴染めず、風が強いと驚くほど古い家が揺れる。家が強風で揺れる経験は初めてでした。

 

もらった椿。虫に食べれていても綺麗でしたが中から虫が出てきました。



 

 

 

そこに5年住んで、静かな山の中で暮らしたいと思い無謀にも家を売りに出す事にしました汗

その地域は今は人気が上がり地価が高くなっているのでもう少し長く住んでいたら、かなり高く売れたかも〜と考える事はありますがその時に売った後悔はありません。

 

 

その頃は今より若かったので家を自分でリフォームしたり難しい所は業者に頼んで少しづつ綺麗にしていたので、買った時より少し高値に設定しました。

2か月位経過しても買いたい人が現れず、不動産屋さんから値引きしましょうと言われましたがもう少し待つ事にしました。

 

私は1人が好きで、自然の中にいると落ち着きますし1人行動が平気です。安い中古の軽自動車を持ってましたので自然の中に気分転換に行ったりしてました。

そんな時に山の中の駐車場で美遊に出会いました。そこは山の自然を楽しむ場所で民家は無く夜は人がいません。

駐車場に車を停めた時、子猫の鳴き声が遠くの草むらから聞こえたので驚き探しに行くと、小さな沢の側の草の中に2〜3か月の子猫がいました。

周りに親猫はいなくて、山の中なのでカラスがたくさんいるので保護する事にしました。

すぐに動物病院に行ったら、捨てられて直ぐみたいで元気いっぱいでした。

そして唾をぺっぺっと吐いて威嚇して警戒心が凄かったです。

 

ゲージを借りて帰りましたが数日しても全く慣れず小さな体で唾をぺっぺっと吐いて威嚇して怒ります。

獣医さんに相談したら、朝と夜ご飯をあげて15分(20分かも?時間は忘れましたがこれ位だと)したら食べて無くても下げるように言われました。

言われたとうりにすると4〜5日くらいですっかり慣れてくれました。

 

ゲージから出たら即、先住猫の果林にしつこく飛びかかり気の強さを見せていました。

穏やかでおとなしい果林が初めて怒ってました。果林と美遊とは正反対の性格でした。

その夜に私が寝てたら、美遊がベッドに上がり私の頬に小さなふわふわの体をピッタリくっつけて寝始めたので落差に感動して私を信頼してくれた嬉しさに胸がいっぱいになりました。それから少し大きくなるまで私の顔にピッタリくっついて寝てました。

小さな美遊が先住猫の大きな果林に攻撃的でしたが、もう美遊を飼うしかありませんでした。

 

そう決めた頃、不動産屋さんから家を購入したい人がいると連絡がありました。値引き交渉無しで買うとの事でした。不動産屋さんは値引き無しで売れると思って無かったみたいで全員が大興奮してました。買い主は場所が気に入り投資目的で買うとの事でした。買い主さんはとても良い人でスムーズに進みました。

 

 

美遊はラッキーキャットなの?美遊が私を助けてくれたとしか思えないくらい不思議でした。

 

安く買ったクリスマスローズを庭に植えたら根付いてくれました。もう花も終わりです。

 

 

 

 

でも家は売れたけど、もともと少ない資金では気にいる家が購入出来ず今度は慎重になり体調が回復していたのでひとまずは借りる事にしました。猫okの借家が少なくて、やっとの事で山の中の家賃が安い家を借りれました。大家さんは審査会社に任せていたので審査が厳しくて涙。もう少し歳取っていたら借りれなかったと思います。

 

築30年で1階がリビング+ダイニング、2階に2部屋あり私と猫2匹には充分な広さで階段は猫達の運動が出来ます。水回りは30年前の古さですが、部屋は綺麗で大きな窓から庭が見えて隣の家が離れているのが気に入りました。

 

 

そして2匹と一緒に今の家に引っ越しました。

果林は慎重でひとりが好きな猫なので慣れるのに時間がかかりましたが、美遊はカゴから出すと直ぐに私にくっいて私が行く所について来ました。

それから居なくなるまで美遊は私の側を離れませんでした。

 

 

畑の小松菜に花が咲きました。菜の花とそっくりですが小松菜は苦味が無く食べやすいです。

 

 

 

 

抱っこが大好きで、私が美遊に話しかけると私の話をずっと聞いていて「僕がついているからね。大丈夫だよ!」と言ってくれているようでした。テーブルの端にちょこんと座り大きな丸い瞳で私の顔を飽きずにずっと見つめていました。私を見つめてくれる大きな瞳を見ると幸せでした。そしてずっと一緒だよ〜と美遊に言うと嬉しそうに抱っこされてました。

 

家探しは今度は慎重になり、少ない資金ではなかなか見つかりませんでした。

私も70歳が近くなり、さすがに焦り始めました。

年金は少なく仕事が出来なくなったら家賃が払えない。

毎日、どうすれば良いのか考えていました。

 

 

その頃、近所の小さい古い家が驚くほど安く売りに出されていて私も買える金額でした。その売家よりは今、住んでいる借家が好きでしたので同じ値段なら買えます。

この借家は築30年でトイレの水道が破損して交換、トイレの床の張り替えなど他にも水回りの修理が続き、年配の大家さんはこの借家を持て余している感じでしたので聞いて見ると同じ値段で売っても良いとの事でした。

 

幸い今、借りている家は自然の中でまあまあ気に入っていました。山の中ですが住宅街の端なので西側は街がずっと大きく広がっていて、車に乗れなくなっても3分でバス停、スーパー、コンビニも徒歩圏内です。

でも、この借家は気にいっているけど欠点もたくさんあり買う決心がつきませんでした。どうするべきか毎日悩んでいました。

 

大家さんが庭に植えていたツツジ。花を見ては美遊が居なくなって何ヶ月と思います。

 

 

 

 

 

 

そんな時、夢で美遊が窓から出て行く後ろ姿を見ました。私の夢は当たった事はありませんが1か月は落ち着きませんでした。何事も無く過ぎて夢は忘れてしまったのですが、2か月後に現実になりました。人嫌いの美遊がたまにしか来ない来客時の騒がしさに驚き網戸を突き破り外に逃げました。

網戸で安心して窓を閉めておかなかった私のミスです。

直ぐに追いかけたのですが家の前の山道を駆け上がる後ろ姿が、夢で見た後ろ姿と同じでした。

 

夏の終わりに居なくなり、直ぐに見つかると思ってましたが帰って来ませんでした。

毎日探しては聞き込みして、コピー屋さんでカラーコピーをたくさん作って仕事の合間に配り、ポスター貼り、新聞にチラシを入れる。捕獲器を借りて庭に仕掛けるなど出来る事はほとんどしました。お金はかかりましたが金額は問題ではありませんでした。最初2件情報がありましたが全く違う猫でした。新聞にチラシを入れても情報は皆無でした。秋が過ぎて冬が始まりましたが美遊の目撃情報は全くありませんでした。

美遊は警戒心が強いので民家を避けて山道を走りそのまま山の中に入って行ったとしか思えませんでした。

冬が来て寒くなり心配で毎日泣いていましたがこの地域にも少しですが雪が積もった時はもう生きてはいないと泣きながら諦めましたが少しの可能性にかけて捕獲器は12月31日まで仕掛けました。

そして大晦日に捕獲器を片付けて泣きながら美遊とさようならして、この借家を購入する決心しました。

人は大きな出来事に直面すると、小さな事は何でも無くなります。

私が、この借家の欠点に迷っていた事も美遊が居なくなった事に比べると大したことでは無く思えて来ました。

 

そしてお正月が明けて家購入の手続きに入りスムーズに家を購入できました。

固定資産税も安くて、とりあえず住む家があれば何とかなります。

 

 

野生のミント。葉に触ると良い匂いがします。そして植物で月日の経過を感じます。

 

 

 

美遊と過ごした濃く短い7年間でした。

私にたくさんの愛をくれました。

そして、美遊を探していた時に知りあった人達は今も有り難い存在です。1人で美遊を探して辛かった私を助けて頂き感謝しかありません。

今でも「見つけてあげられ無くてごめんね」と涙が出ますが、美遊との出会いと別れは不思議な出来事としか思えません。

美遊には本当に不思議な力があったのか?ただの偶然だったのか?わかりませんが、頼りない私を美遊が「僕がいるからね。大丈夫だよ」と以前と同じように大きな瞳で見守っていてくれる気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

朝の野菜スープで健康になりたいと思い朝ご飯を食べる事にしました。

 

 65歳前頃から持病の逆流性食道炎が悪化してしまい病院通いになりました。若い時から胃が弱く20 年前にはピロリ菌除去の薬を飲んで除菌して小康状態でした。油もの、甘いものは胃に負担がかかかりますが、甘いものが大好きでたまに食べると調子悪くなるのですが何とか過ごしてましたが、老化と共に回復しなくなり身体がきつくなりました。幸い漢方薬六君子湯が私にあっていたみたいで、それと胃液を抑える薬で徐々に回復に向かいました。

 

野菜スープは味付け無し。オーブンで焼いたエリンギ、砕いたアーモンド、粉チーズをトッピング。

 

 

 

胃に負担がかからないように1日に2食生活にしてましたが、しばらくしたら体力が無くなり足の筋肉が衰えて歩くのが辛くなりました。車に乗っているので歩かなくてもいい生活でしたので運動量が少ないのもあり、とにかく動きたく無い(涙)階段が登れない(涙)スーパーの中でさえ歩くのがきつい(涙)そしてとにかく眠いので頭がぼーっとしていました(涙)

 

ネットでロコモティブシンドロームのチェックをするとほぼ該当していて、ぼーっとした頭で考えるのは、寝たきりになる恐怖と肌と髪がカサカサになり鏡を見るのが怖くなった事でした。ふくらはぎの筋肉も無くなりサルコペニアかも?

何科を受診?テレビショッピングのサプリメントや運動器具?でも動きたく無いのに運動は無理。お金がない不安や子供達に迷惑はかけたく無いなど考えがまとまりませんでした。

 

 

そんな時「朝ご飯を意識してきちんと食べたら元気になった」と言う記事を見つけてこれならすぐにできると思い朝食を食べることから始めました。

 

 

野菜とパンが好きで胃に良いキャベツを千切りサラダにして毎日食べていましたが生野菜は胃に負担がかかるので胃に優しいスープにすることにしました。煮た野菜をミキサーにかけて消化の良いスープにしました。朝は食べる習慣が無かったので野菜スープ1杯とタンパク質をとる為にゆで卵から始めました。少ししたら食べれるようになり作り置きおかず、昨夜の残り物を少し添える事にしました。スープも数種類の野菜を入れたり調味料で味付けして食べていましたが、手間がかかる事が苦手で長く続きそうにありませんでした。

 

そこで一度にたくさん作り小分けにして、味付け無しで冷凍することに落ち着きました。2週間位は食べれる量にしました。朝、レンチンするだけで栄養たっぷりの野菜が取れて野菜だけの優しい味が胃と身体に染み込み元気になれそうな気がして気力が出てきます。後はゆで卵と作り置きや残り物だけなので簡単に朝ご飯が食べれます。

 

 

 

キャベツ、にんじん、玉ねぎ、白菜、小松菜、水菜、昆布の7種類

30年近く頑張ってくれてるナショナルの頃のミキサー。働き者です。




 

 

色々試してみて私が好きな味も分かりました。

玉ねぎとにんじんは甘味が出て、出し昆布を入れると風味とつぶつぶがいいアクセントになりこの3種類は必ず入れます。後はキャベツ、小松菜、白菜、水菜、ちんげん菜などその時期の旬で安い新鮮な緑の野菜を使います。基本7種類でスープを作っています。

最初の頃にキノコを入れたら味付け無しなので美味しく無くて、それからはオーブンで焼いてトッピングにする事にしました。

 

 

冷凍して冷蔵庫で自然解凍するのでシャーベット状をレンジで温めています。水分は少なめにしていますが野菜の種類により変わります。

 

 

 

 

蓮根やカボチャを入れると美味しいですが値段が高くなるのと糖質も考えて、食材を味わって食べたいのでこれもオーブンで焼いてトッピングでのせています。トッピングは数種類冷凍していて、その日の気分で変えてます。ボリームが出て見た目も良いし食べ応えもあります。

煮干しもオーブントースターでカリカリに焼き、砕いてスープにのせるとカルシウムも取れて美味しいです。

 

 

 

オーブンで焼いた蓮根+砕いたアーモンド。卵はレンジでスクランブルエッグにして昨年作った酢梅をジャムにしてのせると味のアクセントになります。にんじん等は昨夜の残り。貰ったビワは市販の半分の大きさでも満足の甘さ。

 

 

それからは生野菜をやめて加熱して食べ(薬味のネギ、紫蘇、パセリなど少量はok)大好きで昼と夜食べていたパンを1日に1回にして小麦グルテンは腸の負担になるので減らし、大好きなお菓子もあまり食べないようにして(涙)タンパク質を意識して食べるようにしていたら徐々に体力と気力がついてきました。

パンも小麦グルテンを控えたいのと節約の為に、生米をミキサーにかけてお米パンを作る事にしました。発酵時間も1回と短くとても簡単にできます。今はネット検索すれば作り方がたくさん出てくるので助かります。

 

他にも節約の為に市民農園で野菜を作っているので(車で行くので歩かなくてもいいのとたまにしか行かない)旬の時期は同じ野菜をひたすら食べないといけないですが、無農薬の採れたてを食べれるのはとても贅沢なのと野菜が高い時は食費も助かるので野菜作り頑張れます。

季節により畑にスープに入れる野菜が育って無い時は全部買いますが、買う時も計算したら1杯30円〜60円くらいの値段です。

 

 

畑の育ち過ぎたブロッコリー。花が咲いてもスープに入れたので節約の為とても助かりました。

 

今は体調が回復して長い時間歩いても平気になり階段も大丈夫です。(少しはきついですがトントンと登れます)スーパーも楽しんで買い物できるようになり肌の調子も良くなりました。(老化は仕方無い涙)

小麦グルテンを減らしたらお腹が常に張っていたのが楽になり、パンが食べたくて食べたくて仕方無かったのがそうでも無くなりました。

お菓子の誘惑にはたまに負けて生クリームやバターやお砂糖たっぷりのケーキが食べたくなります。1か月に1回くらいなので幸せな時間の為には仕方ないと思っています汗

胃に優しい食事を意識している時は調子が良いですが、逆流性食道炎とは上手く付き合っていくしかないです。

今は元気になり寝たきりになる恐怖から解放されてありがたいと思います。